京都地方裁判所 昭和44年(わ)926号・昭44年(わ)638号 決定
公訴棄却の申立について
被告人
甲
外三名
右の者らに対する傷害被告事件について、被告人および弁護人から公訴棄却の申立があつたので、当裁判所は、左記のとおり見解を表明する。
記
第一 本件公訴棄却の申立の理由の要旨は、「本件公訴事実は、要するに被告人らが共謀または単独で、ニュードライバー教習所次長片山茂に対し、加療約五日間または三日間を要する頸部捻挫または右側胸部挫傷等の傷害を与えたというものであるが、これは、経営者側と検察官が相図つて、労働組合壊滅を狙つて捏造された事件であり、かりに、本件各公訴事実が真実であるとしても、かかる軽微な傷害については、不起訴処分になされなければならないところ、労働組合弾圧の意図をもつて、起訴猶予基準を逸脱してなされた起訴であり、かつ、被告人甲の関係では、違法逮捕手続および逮捕に際しての加療約一週間を要する傷害を与えるなど、捜査段階の違法の故に、本件公訴提起は違憲、違法であるから、現段階において、これらに関する証拠調をしたうえ公訴棄却の裁判を求める」というのである。
第二 当裁判所の見解
(一) 現行刑訴法は、いわゆる起訴独占主義を採用し、検察官は公益の代表として、犯罪の社会的影響、被害者の感情、犯人の立場等一切の状況を総合的に考察したうえ、起訴、不起訴を決しうる広範な裁量的機能を有している。それだけに、その行使が、特に犯人と目される者に与える影響の大きさを考慮に入れるとき、検察官としては、当該具体的刑罰権の内容を実現すべく審判の請求をする必要性(以下公訴権という)の認められる場合にのみ、公訴の提起を許されるものと解するのが相当である。されば、かような必要性がないにもかかわらず、例えば、証拠上初めより有罪を確信づける蓋然性のないことが明認されながら、あえて公訴を提起した場合、または、起訴猶予を相当と認められる明白な諸事情があるのに、ことさら公訴を提起したことが客観に明瞭な場合など、公訴提起それ自体に違憲、違法のかどが看取されるとき(以下公訴権の濫用という)は、実体審理の如何を問わず、公訴棄却等の形式的裁判に出る場合もありうるであろう。
(二) 右の意味における公訴権の存在は、公訴を提起しおよび追行するうえで不可欠の前提要件であること、そしてそれは事案の実体と密接に関連していること等に鑑みると、その存在についての実質的立証責任は、挙げて検察官が負うものと解すべきである。
しかしながら、その公訴提起の手続が、当該起訴状の記載内容等に照らして形式上適法に行なわれていると認められる場合には、一応有効な公訴提起があつたものとみるべきであり、したがつて、これに反して、いわゆる公訴権の濫用を主張しようとする場合は、その者において、これを認めるに足りる具体的事実の顕出方を負担すべきものといわなければならない。
しかして、本件各公訴の提起は、その起訴状に徴して、それぞれ形式上適法に行なわれていることが認められるのである。
(三) それでは、本件のように、まづ公訴権の存否のみに関する証拠調の請求があつた場合に、これを取り調べる時期はいつが適法ないし相当と解すべきであろうか。
おもうに、公訴権の存否に関する資料は、一般的にいつて実体形成の資料と大部分において不可分的に関連し、または重複していること――これを本件に例えていえば、本件が、労働組合壊滅を狙つて捏造された事件であるか否かは、まさに実体に関する証拠調をしたうえで初めて明らかになるのではなかろうかと思われ、また、本件公訴の提起が起訴猶予基準を逸脱したかどうかは、犯罪の動機、態様等諸般の事情を考量しなければ判別し難いと思われ、さらに、捜査段階の逮捕手続等に関する違法性が公訴の提起および追行を違法視させるには、単に捜査手続が適法でないというだけではなく、より高度の違法性の存することを要し、結局、当該事件の罪質、内容、被告人の人格態度等に照らして、捜査手続の社会的相当性逸脱の度合が判定しうるものと思われるように――が考えられる。そうすると、現行刑訴法が、いわゆる起訴状一本主義を採用し、裁判官に事件について予断を与えてはならないとされている建前上、少くとも未だ実体に関する証拠調に入らない段階において、被告人側の請求にかかる公訴権の存否のみに関する証拠を取り調べることは、単に証拠調の順序に関する刑訴規則に反するばかりではなく、法の理念にもとり許されないものといわなければならない。
この点について弁護人は、起訴状一本主義は被告人のために存するものであるから、被告人がその利益を放棄し、直ちに公訴権存否に関する証拠調を希求する以上、右の違背は許される旨主張する。しかし、起訴状一本主義は、憲法第三七条第一項にいう「公平な裁判所」の理念から導き出されるものであり、それは、単に被告人の利益のみに止まらず、一般国民に対し裁判の公正を担保する機能を有するものと考えられるので、その性質上、被告人の放棄によつて前記の判断を左右することはできない。果してそうだとすれば、実体に関する証拠調前に、被告人側の請求にかかる公訴権の存否のみに関する証拠を取り調べた場合に、その後、仮に形式的裁判をするに至らなかつたときには、畢竟、裁判所が実体に関する証拠調前に既に実体の心証を形成することに帰着し、右はまさしく起訴状一本主義の理念にもとり、違法の誹りを免れ難いのである。
なお、弁護人は、本件公訴を提起した検察官の取調方を強く要求している。その趣意を尋問事項等によつて推測すれば、本件公訴提起が、特に当該検察官の労働組合弾圧を目的とされた意図に基づく不当なものであることを明らかにして、結局公訴権濫用にあたる場合であることを立証しようとするもののようである。
ところで、公訴権濫用の趣旨については既述のとおりであるが、さらにこれを、右の問題に即して敷術すれば、それは、起訴猶予基準の明白な逸脱等の客観的要素と、検察官の公訴権本来の目的と異なる意図の実現という主観的要素とを総合して、公訴提起が著しく不公正と認められる場合等に、公訴権濫用としての評価を受けうるものと考えられる。されば、検察官が、仮に労働組合弾圧の意図をもつて公訴を提起したとしても、その客観的要素を照合して判断しない限り、それが、果して公訴権濫用に該当するか否かを決することはできない。そして、前述のように客観的要素は実体と不可分に関連ないし重複する故に、実体に関する証拠調前に公訴権の存否のみに関する証拠を取り調べることが、起訴状一本主義に牴触して許されないとする以上、本件の現段階において、公訴を提起した検察官を、右の立証趣旨に基づき直ちに取り調べることの当をえないことは、自明の理といわなければならない。
(四) 以上の次第で、当裁判所としては、被告人および弁護人から公訴棄却の申立があつたことを配慮しながら、起訴状朗読に引き続く実体審理を行なうこととし、これにさきだつて、その請求にかかる証拠を特に取り調べることはしない。(橋本盛三郎 田中明生 松本信弘)